
魚類に興味をもつと、日頃、どんな形であれ、幸せな気持ちになることが多い。今、銀座ソニービルの前には美ら海水族館から楽しい仲間達が、大きな水槽に収納されています。サメとか、サメとか、ホニャララ魚とか、悠々と泳いでいらっしゃいます。銀座で夜まで仕事をしていると、気持ちが殺伐とすることもあるのですが、数寄屋橋の交差点で水槽をみていると、そんな気持ちもどうでもよくなるというか。みんなお魚が大好きなようで、泥酔したサラリーマンや、水商売の女性らが、ほにゃほにゃの顔して小学4年生みたいに見入ってるのを見ると「ソニービルいい仕事してますな」と、思うのであった。
また、ふぐ料理チェーン店「とらふぐ亭」なんかは、やばい。
このフグ達は、いずれ人間達に食べられるのがわかっているのだろう。もう、顔が悟りを開いている。ぽーっとしてますよ。ぽーっと。おいしそうだなぁ。とらふぐ亭っておいしいの?
魚類は、食事にしても鑑賞にしても、そのはかなく繊細な命を使って、いろいろ教えてくれる。
私のかよっている足裏マッサージのお店も、受付のところで割と大きな水槽で金魚やグッピーを飼っている。昨日も、待合い中、そんな金魚を目の前に、ほんの幸せなひとときをすごしていた。家のらんちゅうとちょうど大きさが一緒くらいだなぁ〜。なんつって。
そして、約1時間の施行後、受付にもどって、お茶をいただきながら、再度水槽を覗いてみたら、さっきまで元気だったお魚が、すべて死んでいた。全滅だ。
「あの〜、なんか魚、、死んでますよ、、。」とスタッフの中国人に言ったら、「アイヤ〜!」と、水槽をチェックした。ヒーターが壊れて、水がちょうどいい湯加減になっていた(40度くらい)。死んだ金魚をすくった中国人が、「カタイヨ。サカナ。」とつぶやいた。茹で上がってしまったのか。
地球温暖化について考えてしまった。